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スーパーじゃないエンジニア
斬新な技術が生まれて世に広がるまで
ある斬新な技術が発表される まずは専門的にそれを扱う人たちに広がる 次にメディアが広げ専門的でない人もそれを知るようになる そして、至る所でその技術についての言葉を聞くようになる でも往々にして偏った意味として 次にその技術の謎のコンサルタントが出てくる 残念ながら名ばかりで報酬に見合った成果を上げてはくれない そして、一部でそれの状況に気づく人たちが出てくる 銀の弾丸ではない…. 的な記事がたくさん描かれる 何とかでもわかる… 的な記事、書籍が販売される そんなこんなんで誰もが名前くらいは聞いた事のある存在になる そして時が経ち実用的になっていく ようやく生活の一部で当たり前のように使われ始める その頃にはもうだれもその技術自体を話題にはしなくなる それくらい世の中に浸透している なんだか不思議な気もするが忘れられるくらい身近になる事 そうなることが技術としては成功なのかもしれない さて、ある技術と書いたそれが現代で言えば何のか? 幾つか当てはまるものがあるとおもいますが それはご想像にお任せしたいと思います。 それでは
プログラミングを勉強すること != プログラマになること
「多種多様な仕事でTHECが沢山必要になる」 だから 「みんなプログラミングを勉強しよう!」 個人的にこの流れは良いと思う プログラミングを小学校で「算数」を習うみたいに勉強する。 うまく伝わるか分からないけど「数学」でなく「算数」のノリ。 歌いながら九九を勉強するような感じで これは プログラマをただ増やそうでもないし 理系プログラマを増やそうって事でもないし 文系プログラマがダメだと言う話でもない 理数系も文系もこの先はもっとプログラミングが必要になり 当たり前になる。 って話だと思う。 まとめると世の中みんなプログラマになろうって話ではないし ならないといけないって話ではない 最近よく聞く金融関連のFinTechや会社の管理業などのHRTech、 この先は法務関連だったりもっとプログラミングとこれまでは程遠いとされていた分野でプログラミングが必要になる もちろん専門でプログラミングをするプログラマも無くなりはしないけど 今ある、そしてこれから登場するあらゆる職業でプログラミングが何らか関わると言う意味。 最初に書いたみたいに数学ではなく算数のようにプログラミングを取得するような流れで学校教育に組み込まれるのは良いと思うし、必然なのだと思う。 くどいですが多種多様な職種でプログラミングが必要になるって事だと個人的には考え得ます。 「プログラミングを勉強すること==プログラマにならないと行けない」 そんな誤った風潮に今なりそうな空気を日々感じています。 あくまで個人的な考えですが、そうならないと良いなと思い記事にしました。 それでは
誰もが闇を抱えている
人は不安定な時、何かと不幸な自分を探してしまう それは生まれてからの月日で生じる心の傷 大小関わらず生きていけば傷つくことはある 正常な時はそれには気づかない でも正常でない時、例えば疲れている時 人はそれに飲み込まれる 自分の中で解決していない傷は何年でも何十年でも何かの拍子に溢れ出す そしてそれが自分自身を狂わし、さらに苦しめていく 人は誰しもそんな闇を抱えている それがない人がいればそれは幸せかもしれない でもそれは人の痛みを知らない人だろう 誰も簡単に人の心を傷つける 人は自分の闇に襲われるとそれを忘れる あまりに自分が辛いため けれど、自分も誰かの闇を作っているかもしれない 誰かを闇に引き摺り込むきっかけを作っているかもしれない その事を忘れずに、生きていかなければならない そうすれば少しは他人に優しくできるかもしれない 人に優しくできれば 人を闇に引き摺り込む可能性を少しでも減らせれば 人を理解する努力ができれば 世の中はもう少し平和になるのかもしれない 自分自身の戒めに記事にしました。 それでは
説明の出来ないこと
世の中には説明のつかない事がいくらでもある 常識と言われるものは多分多数決 常識なんて人の数だけ存在する 常識なんて集団の数だけ存在する 常識なんて無限に存在する けれども多数決で常識を決める 人は自分の常識なんて多数決に寄せ気味で 説明のつかない事 理解が出来ない事 世の中はそれらを受け入れられない人がほとんど おそらく分からない存在、理解出来ない出来事が怖いから それは初めて訪れた道を地図無しで歩くような 暗がりをひたすら歩くような そんな不安があるのだろう けれども、新しい事、新しい発想はそこにある 今、説明のつかない物事が新しい進化の機会に繋がるかもしれない その可能性を摘まないように、説明のつかない物事を恐れず、そして受け入れる事の出来る人こそが新しい発想を生み出していく人なのかもしれない それでは
曖昧さの必要性
人間が人間である最大の特徴は何だろう 私は曖昧さであると思います。 ※以下は全てあくまで個人的な考えですので妄想とでも思って読んでくださいませ。 計算機は正確な答えを計算出来る 人は計算機には正確さでは到底勝てない でも逆に計算機に曖昧な値を出力させることは難しい 計算機はそもそも曖昧さを良しとしない 正確性を求めるものだから 極論を言うと 1 + 1 を計算したくて計算機に計算させて 「多分 2」 と答えが出たら正直困る 人が計算機に求めるものは 1 + 1 = 2 基本的な概念はそのはずである 故に曖昧さを弾き出す概念は難しい 最近はその曖昧さを弾き出している 正しくは曖昧なものを分析し数値と言う形で表現している やはり人のそれとは違っているのだろう 人間以外の動物も曖昧さを持っている でも人間ほど複雑には出来ていない 複雑な仕組みで存在している人間を計算機では現在のところ全てを分析出来ていない 分析できる日も訪れるのかもしれない でもそんな日は来ないかもしれない 人間は計算機よりも曖昧で時に面倒である 計算機のような正確性を欲しいとおもう時もある でも曖昧さがあるから人間は人間であり 曖昧な存在であるからそれぞれに違いがある その曖昧さから生まれた違いが人の個性であって 個々の存在意義なんだと思う だから曖昧さは人には必要なのかもしれない それでは
匂いをシェアできるSNSがあったなら
ばえる なんて言葉をよく聞く 見映えからきているのだとおもう SNSは画像や音声、そして動画を配信出来る でも匂いでそれはできない 例えばできたらどうなるだろう? そもそもどうやって? デバイスから匂いを噴射する? 何らかの信号を送り脳に匂いをしていると勘違いさせる? 前者はアトラクションならもうありそう 後者は科学的な研究は進んでいるかもしれない どちらにしてもテロに繋がりそうで怖い しかし、それを言ってしまえば今のSNSも怖い 映像で人の脳に何らかの影響を与えることは可能 テロに使われてもおかしくない 実際、よくないことに使われてる ある意味最近の不適切なあれもそれに入る いいこと を考えてみる 例えば嗅覚が弱ってしまった人が食べ物の匂いを感じるように 脳に信号を与えられるようにする そんな医療の目的であれば素晴らしいのかもしれない 人が穏やかになるいい香りをSNSでシェア出来る そんなネット世界なら素晴らしいかもしれない 今のSNSも悪い事ばかりではない いいこともたくさんある 結局は使う人それぞれ 悪い事だけ恐れて進化をためらうよりも いいこと、わるいこと それぞれを理解し正しく扱っていく力 今必要なのはそんな力なのかもしれない それでは
共存
人はそれぞれ 考え方 価値観 世界観 独自のそれを持っている 以前にこのBlogで使った表現で言えば文化 誤差の大小はあれど、人それぞれに違っている どんなに仲が良い人とでも それが合わない時がある 時にその相違は争いの種になる そんな時に相手の世界観や文化を否定してしまう事がある けれど、そんな事をしても何も解決にはならない 争いの規模は戦争から小さな口喧嘩まで様々 相手に自分の価値観を押し付け、従わせようとする行為は 侵略する戦争犯罪者と本質は変わらない 例えどんなに自分の考えと合わないとしても、 相手の考えを否定していては、争いは解決しない 残念な事に強引に力でねじ伏せようとする人もいる そんなことをすれば、憎しみが残る そして、いつかそれは新たな火種になる 人は会話をする事が出来る 人は自分の意思を伝える事が出来る 罪人は罰せられるべきだけど 何故にその罪を犯すに至ったのかは理解する必要はある 罪人を同情するためではない 同じ過ちを自分自身が行わないため 同じ過ちを他者が行わないため 知らなければならない 伝えなければならない 人は人の話に耳を傾けなければならない 人は人に自分の事を伝える努力をしなければならない 自分と価値観が違う存在を認めなければならない 知らない事を否定せず知る努力をしなければならない 共存する事の努力 それが平和に生きていくために出来る事 先日、改めてこう思えるような言葉をSNS上で拝見し 自分自身が出来ていない事なので戒めの意味を込め記事にしてみました それでは
おとな
おとなの定義は難しい 二十歳になったら自動的に おとな にはなれない おとな は自分を制御できる 行動 感情 etc 自身のあらゆることを制御出来る これが出来たら おとな なのかもしれない こども は それを 出来ない 出来ないから こども なのかもしれない でも、こども のうちはある程度はそれを許される そして、おとな は こども に それを教える立場にある 今の自分はどうだろう おとな になったと言われる年齢の二倍になった それが出来ているだろうか おとな だろうか 自信を持って言えない事がたくさんある もっと自分を制御出来るようになり おとな になったと胸を張って言えるようになりたい そんなきょうこのごろです それでは
いいことさがし
いいことだけ を みてゆこう いいことだけ を さがしてゆこう わるいところ は さがさない こまかいこと は きにしない いいこと さがしは しあわせ さがし いいことはたくさんころがっている いいことの かたまり は しあわせ しあわせは いいこと を つくりだす しあわせと いいこと の いい じゅんかん そんな しあわせな せいかつ が いいな と おもう それでは
気にしない気にしない
あれこれと気になる 細かい事が気になる 必要のない不安を積み上げていく 積み上げられた不安は膨れ上がる 不安は怒りになる 不安は悲しみになる 気になる事が増えると負担が増える 体の調子も奪われる 心のゆとりも奪われる 結果として大事な人を気遣う余裕が失われる 大事な事を見落としてしまう 大事な事に気を使えなくなる 何も気にしないのは危険かもしれない けれど気にし過ぎると大事な事に気を回す余裕をなくす そうなっては意味がない 自分への戒めです。 それでは
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