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スーパーじゃないエンジニア
景色
日中に見える景色 夜中に見える景色 当たり前ですが見えるものが違う 明るい方がよく見える 暗い方がよく見えない 果たし本当にそうなのか? 若い頃、そんな意味のある様な無いような事を考えていました。 そして考えた事を映画の脚本にしました。 自主制作の映画ですが、当時の私が言いたかったのは、おそらくはこんな感じだと思います。 「物事はどう見るかで答えが変わる」 自分の事ではありますが、絶対とは言い切れません。 ですが、そんな感じでは無いのかと思います。 夜道、 月明かりで見える景色は、日中では感じれないなんとも言えないものがあって、 それは日中の明るい時には気づけない、夜ならではの貴重な感覚 そういったものと、自分の生きている世界を結びつけれたら、 もっと良い作品になったんじやないかと今は思います。 夜道を歩きながらそんな事を考え、また ひとりごと を記事にしてしまいました。 それでは
プロトタイプ(試作品)
どんなに事前に思考し計画を立ててみても 作ってみないと出てこない問題は多々ある そのために プロトタイプ(試作品)を作る 課題を見つける その課題を解決する なんどもそれをを繰り返す 課題がなくなるまで そんな試行錯誤を繰り返し、完成に近づいていく 人生も試行錯誤の連続かもしれない 人生は絶賛運用中 現在の自分が未来へのプロトタイプ そう考えると失敗も成功も意味があるように思えてくる そして実際にそうなのだと思う 人生の良い機会が巡って来ても、その機会を活かせるか活かせないかは この試行錯誤をどうするかにかかっているのだと思う 機会を生かせた時、活かせなかった時 その結果の分析が必要 活かせた時は何が良かった 活かせなかった時は何が課題だったのか この分析から次への試行錯誤を行う その試行錯誤が未来を繋げていく 仕事で試作品を開発をしている時に、その過程でこんな事を感じました。 失敗は成功の母と言われていますが、人生もそうなのかもしれません。 成功しても失敗してもそれを糧に、自分自身を試行錯誤して、生きていこうと行こうと思います。 それでは
前向きにそして楽観的に
ものごとが上手く行かないと、悲観的になってしまいがち 上手く行かない事が続くと新しい機会が訪れても 「どうせダメだ」 と諦めてしまう 理由は期待してガッカリして辛い気持ちになるのが嫌だから こればあくまで私の話ですが、似たような人はいるんじゃないかと思います。 しかし、私がこれまで出会ってきた、(私から見て)色々と上手くいっている、 やりたい事が出来てる人の共通点は とても前向きで、かなり楽観的な考え方をしている事 そんな彼らは何か課題に直面しても 「どうせダメだ」 とは、まず考えてない 彼らはひたすらに、良くなる結果を想像する そして、それに向けてどうすれば良いかを全力で考える その結果として、目的を概ね達成させる さらには、望んでいた新たな機会が良いタイミングで舞い込んで来る(ように私には見えました。) 何より重要な点は、彼らはやったことが失敗に終わっても、決してめげない 「何かを得た!!」 と前向きに考え、次に進む こんな風に、常に前向きに、そして楽観的に生きるのは正直大変です。 そして、前向きに楽観的に生きてもいい結果が必ず訪れるとは限ません。 ですが、下向きに考えていても何も良い事は起きる可能性が極めて低いのは事実。 しかし、最悪の結果が変わらないのであれば、前向きに希望をもって生きていく方が人生は楽しいかもしれません。 最近はそう思えるようになったので、この先で上手くいかない事が続いた時に、 前向きにそして楽観的に生きていけるように、今回の記事にしてみました。 それでは
深呼吸
頭が回らない時は深呼吸をする 頭が回らないって感じる時は、酸素不足な時が多い 私は軽い偏頭痛を持っているんですが、深呼吸をすると収まったりします。 また、水分不足も頭痛の原因だったりします。 ミネラルウォーターやスポーツドリンクを飲むと収まったりします。 今日は通勤の電車で記事を書こうとしていたのですが、全く捗らず 頭が回らないなぁ〜 なんて思いながら歩いて、ふと深呼吸の事を思い出しました。 何かの受け売りですが、深呼吸と水分補給は大事なのは間違いなさそうです。 そんなわけで一つ、記事が書けました。 それでは
誰かの話を聞く時
その人は何を求めているのか 賛同が欲しいのか それとも 答えが欲しいのか 前者の場合、まず相手が気が済むまで話を聞いてあげる必要がある 実際には答えは当人の中にあり、まだそれを自身の中で納得しきれていない そのため、言葉にして整理をする必要がある その場合やってはいけない事 それは、自分の話をする事 「私も…」 「私の場合は…」 「私…」 おそらくは「私」の話は聞きたく無い なぜなら自分のはなしをただただ吐き出したいから もしくは同調して欲しいから 後者の答えを教えて欲しい人であ場合 明確に課題が整理されていて、答えが分かる事は伝えれば終了 しかし、大抵は課題の整理が出来ていない事か多い(経験上) 良くあるのは、相手は困っているが、何を困っているかを自分でも理解出来ず 上手く話せないでいる場合 そんな時もまずは、話が終わるまで話を聞く その上で、相手に寄り添って相手の状況を一緒に確認する この状況の整理をしている中で困りごとが自己解決する場合もある 解決にならずとも、当人の中に解決への糸口が見えるかもしれない 話を聞いて欲しい時 と 答えを知りたい時 それぞれに対応を切り替える必要があるかもしれません。 ただ分かっているのは、 何が困っている人に話しかけられた時は まずは__相手の話を全て聞く__ それが、何より大事だと経験上思いました。 経験と言うのはどちらかと言うと 話を聞いてもらう側です。 実際に聞く側になった時に、自分ならどうして欲しかったかを考えて行動すると 上手くいった経験もあります。 その事を忘れないために今回の記事にしてみました。 それでは
一番怖いのは悪意無く人を傷つけてしまう事
ある有名人が着ていた服で騒ぎが起きた 悪気は無いのだろう それが分かるから、それほど責める人もいなかったと思う ただ、少なからず不快に思う人がいるのも事実 その上での謝罪だったのだと思う また別の事件 ある有名人は 旅先でそこであった悲劇をしらせる為にそうしたと 悪意は無かったと謝罪した そう捉えるには少々無理がある表現だった 謝罪をしていたので、それほど悪意を持っての事ではなかったのだろう おそらく軽い気持ちでやった事が大事になった と当人は思っているのではないかと思う それぞれに悪意は無かったと私は思う しかし、実際は悪意が__ある__よりも__ない__方が問題としては厄介かもしれない 悪意が前提なら当人を罰すれば良い 悪意が無い場合は何故そうなったか、再び起きない為にどうすべきか、解決策を見つける事が難しくなる 私は出来るだけ人の嫌がる事はしないように生きているつもりです。 なぜなら、自分が嫌な事をされたくないから。 しかし、どんなに気を付けていても、誰に不快な思いをさせているかもしれません。 もしかしたら、だれも不快に思っていないかもしれません。 実際のところは分かりません。 ただ、分かっている事は、 __誰しもが誰かを傷つける可能性__を持っているということ 過ちを犯した時は素直に反省することが大事であること そして、人の過ちは出来るだけ許す努力をすること 悪意の有る無しに関わらず、人は人を傷つける可能性を持っている それは自分自身も同じ 私自身が自分は違うと思ってしまう事があるので、戒めの意味で記事にしてみました。 それでは
夢の国の夢のないはなし
こどものころ、夏休みは母方の実家に行くのが定番でした。 そして、母方のおじさんが夢の国に連れて行ってくれるのが夏休みの最大の楽しみでした。 それから何年も経ち大人になって三回程行きました。 夢の国は毎回、私を楽しませてくれる夢の国でした 少し前の話、そんな夢の国の夢のないはなし を耳にした 夢の国で働く人の辛い訴え 正直、聞きたくは無かった しかし、事実なら悲しいが解決してほしい 限定的な人達の問題なのか広範囲なのかは分からない 確かなのは、何も無かったとは言えない事 切実に願うのは、事実に蓋をしない事 事実を受け入れて、改善をしてくれたなら、私は夢の国を嫌いにはならないだろう 夢の国も、そこで働く人達にも、これからも夢を与えて欲しい 現実の辛さも吹き飛ぶような夢を与えてくれる、数少ない場所をこれからも大事にしてもらいたい ただただ、そう願います それては
最近の若者が、なんやらかんやら
20年も昔、若者だった私は 「今の若い子は…」 「最近の若者は…」 「若い奴は本当に…」 など散々と言われていた気がします。 さて、若者で無くなった私も多分に漏れず、若い人の行動に自身とのギャップを感じる時があります。 ただ、私はフラフラしたダメな大人なので 「最近の若者は!」 みたいな、偉そうな事は言えませんし、考える事も基本的にはありません。 それでも感じるこのジェネレーションギャップと言うのか、世代間の感覚のズレについて、学生時代の師匠が面白い表現を使っていました。 「君たちの文化」 学生時代、私や同級生は学校の入り口の階段、コンビニの駐車場の地面に座って昼食や間食を取っていました。 私達の感覚では、なんて事ない事ですが、今の私くらいの大人から見れば、理解し難い行動だったと思います。 そんな中、師匠の先程の言葉 「床に座って飯を喰うのは__君たちの文化__だから、止めろとは言わないが、人の邪魔にならんようにな」 おそらく、師匠には私たちの行動は理解し難い行動だったと思います。 ただ、学生と言う歳の離れた世代と生活をするために、理解した(しようとした)結果、出てきた言葉が__文化__なのだと思います 。 今、若者で無くなった私も、やはり若者が理解出来ない時があります。 しかし、師匠のように、__今の若い人の文化__と思えば仲良くやっていけるように思います。 そして、これは多国籍の人や国内でも育った環境、習慣、年齢に関係なく、自分とは違う文化を持っている人と共存するために必要な考え方 なのだと思います。 それでは
やりきる
__やりきる__ことは大切だ 結果はどうあれ、自分自身がやりきらないと次に進めない __やりきる__までの時間は人それぞれ 1年、数ヶ月、もしかしたら数時間の少ない時間で結論を出した人もいるかもしれない やりきれたなら、それで良い 5年、10年、20年…一生かけてやりきる人もいるかもしれない 結果は出なくて、自分自身の中で納得がいくまでやりきれたら、 それは素晴らしい事で、何にも変えがたい財産になる と、最近思うようになりました。 私は色々な事をやってきましたが、数年で辞めてしまっています。 いくつかは後悔無く__やりきった__と言えますし、いくつかは多少の後悔もあります。 ただ、その後悔も __やりきる__事が出来た結果と今は思うようになりました。 後悔が強くなればまた始めれば良いし、そうでなければそれまで 日々生きていく中で、自分の考えは変化しますが、自分自身がその変化に追いついていない時があります そんな自分を見失わないために、自分の生き方を迷わないために 今日の記事に書き出してみました。 それでは
油断大敵
インフルエンザの予防接種は時々受けていましたが、今年は迷わず受けることにしました。 私はどちらかと言えば身体は丈夫で体調管理も人一倍に気をつけている自負がありました。 そして、実際にもこれまでは大きな病気はかからずに生きてきました。 しかし、この夏は熱中症になり一週間寝込み、その後に肺炎をこじらせて一か月近く療養と言う、人生の中での異常事態を経験しました。 そんなわけで、体調もかなり良くなりましたが、油断大敵と言う事で予防接種もしっかり受けて万全を尽くしたいと思います。 それでは
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