なぜいまあるカタチに囚われるのか

Jun 8, 2019 13:45 · 23 words · 1 minute read ひとりごと

多様性が叫ばれている世の中ですが

現在のカタチに囚われ続けている事が多い

差別を訴える運動のその先に本来の問題の解決方法として伴っていなかったり

今ある一方と同じ事が出来ない環境、出来ないようにする圧力..

それ自体は問題であり、それを非難することは多いに賛同できる

しかし

多様性を認める世の中で、全ての存在が同じ事を同じやり方でする事

それだけが差別のない世の中なのだろうか と疑問に思う

多様性を認めるのであれば、その要素それぞれの特徴が生かされるべきではないだろうか

そして生まれ持ってどう生きるかが決まってしまうのではなく、

一つの個性にとらえるのではなく、

個々に選ぶ事が出来る

それを認める事が多様性ではないだろうか

今は何か力のある特有の要素に、全てが横並びになれば全てが解決する

そんな安易な発想の元、ただ暴れたい人が騒いでいる事が多いように感じてならない

違う個性を持つ存在が横並びに同じ事をするのも認める必要がある

その個性が優れている事に注力する事も必要だと考える必要もある

上記のいずれかやその他の行動や生き方を選択する事が出来る世の中である必要もある

多様性を認める事、価値観を変える事は難しいかもしれないが、個性の主張で争う事に意味はないはず。

それぞれを認め合い、どうすれば良いかを常に話あえる、考えあえる世界で合って欲しい。

そう思います。

それでは

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